フランツ・リストはショパンと友達だった@クラシックTV

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リストは元祖スーパーアイドル!

ショパンも同様で、ふたりは同年代の友人でした。

今回はリストを中心として調べてみます。

フランツ・リストについて

ハンガリーの地に生まれたため、自分のことはハンガリー人だと認識していました。
ただし、ドイツ系ハンガリー人が多く、家庭でもドイツ語を使っていたことで
生涯ハンガリー語をマスターすることはなかったそうです

そんなのアリなんだと思ってしまいます。。

元祖スーパーアイドル

ピアニストとして当時アイドル的存在でした。
イケメンにサラサラの長髪…
演奏を聞いて失神する女性が相次いでいました。

失神ってそんなに簡単にしますかね?
大げさな気がしますが・・・
それほどまでにすごかった、という表現なのかもしれませんね。。

多くの女性と恋をし、マリー・ダクーという女性とは10年間同棲し、
3人の子供をもうけています。

1847年のキエフ・オデッサ演奏旅行時には、
カロリーネ侯爵夫人と恋に落ち結婚を望みますが
カトリックは離婚を認めていないため、叶うことはありませんでした。

ピアノの魔術師

リストは超絶技巧の演奏者として知られ、初見で弾きこなせない楽譜はないほどでした

指が6本あるのでは?と思われるほどだったそうです。
幼少期から指を伸ばす練習をしていたそう。
12度の音程も軽く押されることができたそうです。
そういわれると幼い頃に指を伸ばしておくと良かったなぁと思いますね、、、

演奏も力強かったのかピアノの弦が切れることは普通だったそうで
3台ほどのピアノを用意しておき、弦が切れたら交換しながら演奏したとのこと

オーストリアのピアノ製造会社であるベーゼンドルファー
リストの演奏に耐えた事で有名になりました。

当時のピアノの弦がどれほど頑丈だったのかわかりませんが
弦が切れるほどの演奏というとただの力づくのように思えてしまいます。。

リストの演奏は女性たちを失神させましたが、自分も失神することがあったそう。
それほどまでに力強く弾いていたのか、、、血圧の上下が激しそうで心配になります。

初見で弾くことが難しかった唯一の例外はショパンの練習曲10番
しばらく姿を消し、練習してからお披露目したそうです。

負けず嫌いですね。

ショパンはリストの超絶技巧に感嘆し、自分も同じように弾きたいと考えたものの
後半はあまりの技術偏向に呆れて否定的になっていったそうです。
リストものちに表現力を重視するようにはなっていきます。

ショパンとのライバル関係と類似性

ショパンはリストより1年早い1810年に生まれています。

ともに同時期にパリで活躍し、サロンでもてはやされ度々共演もしました。

ショパンはジョルジュ・サンド、リストはマリー・ダグー伯爵夫人を愛人とし、
添い遂げることなく別離を経験しています。

またサロンで大人気だったのはショパンも同様ですね。

しかしながら共通点はありつつも、その他異なる点が多く、むしろ真逆ともいえます。

今となっては残された音楽を当時の資料からしか知ることはできませんが
リストが無類な技術と大音量で相手を唸らせたのに対し
ショパンはずっと小さな音で繊細で情緒的に奏でるピアニストであったようです。

ショパンは人前ではめったに演奏することがなく
少人数でのサロンでの活動を主にしていました。
公開演奏会は生涯で30回ほどしかしていないそうです。
一方でリストは演奏会で収入を得ていたので、
ピアノの指導で巨額の収入を得ることを嫌いました

本当に真逆の演奏生活だったのですね・・・。

ショパンは39歳の時にパリで死去しています
しかしながらリストはショパンの倍以上生きながらえ
以降は第一線のピアニストという肩書を外し、作曲に専念するようになります。
そして次々と傑作を生みだしました。

ふたりはお互いの才能を認め合い、
愛人同士も友人であったため、交流はありましたが
数々の考え方の違いから真の意味での友人とは言えなかったのではないでしょうか?

同時期の天才音楽家ふたり・・・
想像が広がります。

リスト名曲ランキング

  • ピアノ協奏曲第1番 ホ長調
  • 交響詩「レ・プレリュード」
  • ハンガリー狂詩曲 第2番
  • ピアノ・ソナタ ロ短調
  • ラ・カンパネラ
  • 愛の夢 第3番
  • 「パガニーニによる大練習曲」より第6曲”主題と変奏”
  • メフィスト・ワルツ 第1番

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